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▼四十過ぎてデザイナーだと自負できるようになった。

 この世界では二十代で頭角を現す方が大勢います。私は二十代の頃はデザイナーになれないなあって思いながら、何をしたいんだろうって自問自答してきましたね。ある時長野の清掃工場でたくさんの洋服がごみとして捨てられているのを見て、衝撃を受けることがありました。自分が消費をしていた服がこのような姿になるのかという衝撃であり、環境に対する敏感さを得たという衝撃ですね。

 私はそれからこの清掃工場でファッションショーを開催することを決し、準備をしました。「人は来づらいよ」とも言われましたが、二千人が集まってくれました。あのごみの山の前で、ショーを実施したのです。この経験をへて、自分のそのままの気持ちをそのままに表現するというスタイルが身に付いたと思います。

 人間が着るわけですから、人間を中心に考えるのが基本です。人の体にそってくれる、息をしていて、一緒に動いてくれる、包んでくれる、そんな服を作りたいと強く意識するようになっていきました。

 それからずいぶん経験も重ね、最近ですね、ようやくデザイナーだと自らが名乗れるようになったのは。二年前に自分の名前のシルクブランドを立ち上げたのですが、四十歳を越えてました(笑)。



最新のデザイン・コレクションの中からいくつかを紹介。
 
▼気付いたら、カテゴライズされない位置にいた。

 奥深いシルクとは別個にポリ乳酸繊維の環境適合性に着目したのですが、この繊維を製造したメーカーは当初産業資材として作っていたので、洋服の素材としてはまだ未完成でした。

 石田屋さんも気持ちのいい生地選びをされていると聞きます。服地の素材でも布団生地として使用することもあるそうで、機屋さん探しには苦労されていますね。私も機屋さんを探しました。今では私はこの繊維を布地にして服を作ります。
 シルクとポリ乳酸繊維の混紡生地も出来ました。今着ているのがそうです。
 自然ものの追求、基礎的な鍛錬、自分のスタイル、そういう流れの中で、多くの方に快適と思っていただける洋服を布から織り続けていきたいですね。これからは自分の可能性を多面体に広げていきます。

 石田屋さんも眠りに大切な事柄の実現を通して自然な物を追求する中で、私の洋服の展示会を催しました。私の服は着方が自由で、例えば、上下を逆にしたりもできます。今年も石田屋さんでの展示会の準備をしています。お互いに高い志を持って、よいコラボレートができることを期待しています。

シンクシルクの会会長兼デザイナー

 私の最初の個展は、ジョン・ケリーの家具とコラボレートして生活提案という形を採ったのですが、その時、ジョン・ケリーのショップから石田屋さんのことを聞いたのが最初でした。後日開かれた彼のパーティの席でお目にかかることができ、石田屋さんは、眠りの八時間にベストを尽くしていると語られましたが、私は活動している八時間にベストを尽くしていると答えた覚えがあります。

 私は現在二つの素材に深い関心を寄せ、研究をしています。一つはシルクです。もう一つはポリ乳酸繊維といって植物の澱粉から作る繊維で、100%土に戻る自然なものです。そういう天然の、あるいは人工の自然素材を用いて製作活動をする中で、石田屋さんの自然素材に対する理解と探求にふれて、いろいろな仕事でごいっしょできると思いました。

▼葛藤しながら基礎的な勉強をしたことがよかった。

 私は、十代の頃から洋服に目覚め、毎夜着ていく服を選んで、アイロンをかける、という日々でした。母が長野ドレスメーカーの学校長をしていたこともあって、私がデザイン画を描くと、母が服を作ってくれる、学校の先生達が仮縫いをしてくれる、という少女時代でした。

 東京の学校を卒業して長野に戻って来て母の学校の助手になりました。長野にはファッションメーカーが少なく、たまに東京に出向いた時に、学んだ学校の先生から「感覚、落ちたわね」と何気なく言われ、ショックを受けたりしました。デザイナーになる意志がしっかりしていたわけではなく、そんな状態できつい一言を言われると、よけいに沈みました。
 その頃からいろんなコンテストに応募をしました。それは、自分の感覚を落とさないためと、自分の位置を知り、確認するため、です。

 デザインを教える現場では主役は生徒であり、教師は彼らから何かを引き出す仕事に徹しなければなりません。つまり、自分を勝手に出せません。デザインを起こすということは自分を表現することでもありますから、ストレスが溜まります。常に葛藤がありましたね。
最初は配色を勉強しました。色は光であり、心理的なものです。色彩は生活の自然を映し出し、それだけに自分独自の配色システムを作ろうと思いました。
 それから素材の勉強をしました。特にシルクに強く惹かれたのです。シルクは「高い、弱い、洗えない」という負の印象が強く、時代の変化に素材がついていっていないわけです。それは他の素材のように化学的な研究をする人、織っている人、デザインしている人が結びついていないからです。そこで「シンクシルクの会」を立ち上げ、分野を越えて共同の領域の集団を作ることにしたのです。調べれば調べるほどシルクには可能性があるとわかって来ました。

 [2002年4月20日発行・季刊誌金澤No.22号]

 
 
和座店にて、石田屋三代目・田中和昭とともに。