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▼宮本さんは、お父様の工場を継がれた形になっていますが、大学ご卒業後は違う世界からスタートされたと聞きました。

 旅行会社に就職しました。数年後、父親から「うちで働け」と言われて飛び込んだのです。当社は男物の着物生地を作る専門メーカーで、最初の仕事は営業です。全国の問屋や小売りを廻るのですが、市場の情報が得られるのです。そのうち、今のままではまずい、新しい方向を模索すべきと危機感を抱き、父親に進言し、新しいもの作りを始めたのです。

 
▼それが現在に至るのですね。

 そうですね。危機感から出発していますから、競争に耐えうるもので、当社の生産能力を超えないものという条件の中で、織りにくいものを手がけようと考えました。

 
▼「織りにくいもの」というのは?

 例えば、麻を縦糸にしたもの、とか。麻を縦糸にして横糸にいろんな素材を用いた服地を作りました。麻の用途を広げようという意図もありました。多様な麻素材が生まれたんですが、それを売らなくちゃいけない。小売りの店先に行って値札を見て、そこから逆算して原価を計算し、その範囲に収まるように服地を仕上げなくちゃいけない。

 
▼で、どうされたんですか?

 自分の感性に合うと思ったメーカーやブランドに飛び込み営業しました。百社飛び込んで、話を聞いてくれるのがほんの数社で、そのうちの一,二社ぐらいが現実に発注してくれるという状況でしたが、その中の一つがイッセイ・ミヤケでした。麻を冬に使うというアイデアや化繊にかげりが出始め、自然回帰的な流れがファッション業界に起き始めた、などいくつかの幸運もありましたね。

 
▼イッセイ・ミヤケの、あのふわっとした立体的な素材は宮本さんのものなんですね!

 そうです。タイミングもよかったんです。この八王子には往時百以上の織物工場があり、私の友人たちも跡取りは八王子工業高校の繊維学科を卒業して、そのまま実業に就く、という状況でした。私は大学を出て、それから数年後にこの業界に入ったので、彼らに遅れること十年、彼らから「織物」という教科書を借り、独学で勉強しました。市場の動向に敏感でなければこれからの産地はやって行けないと痛感していましたので、ファッションやファッションビジネスの勉強もしました。

 
石田屋三代目・田中和昭は八王子の「みやしん」現場を見る。

▼石田屋と出会ったのはどういうきっかけからですか?

 十年くらい前でしょうか、彼から突然、連絡があったのです。「会いたい」と。当時、私の作品が専門誌などでよく取り上げられていたので、そこから知ったんでしょう。金沢から八王子まではかなり遠いのですが、ちゃんといらっしゃいました。

▼仕事になりましたか?

 私の作った生地をいろいろ見て、いくつか発注をいただきました。本気でこられたということです。


▼それらは、どんな生地でした?

 和風だが、和そのものではない、というような生地がお好きですね。カバー類か何かに使うのだと思うのですが、私の生地は洋服用の生地ですから、彼は私とは違うイメージで生地を見ているわけですね。そこが興味深いところです。それにしても、よく品物の勉強をされていると感じました。

 
一つ一つの作品がきちんと説明可能な状態で揃えられている。
▼寝食忘れて、という感じですね。

 一日に二十から三十の新しい組み合わせの生地作りに取り組んでいましたので、二、三時間しか眠らない日々もありました。その作業を通して、自分の工場のこまごまとしたことや繊維のディテールなどを数多く知ることができたと思います。

 
▼例えば?

 当社の工場は一ミリの間に十二本の糸を入れることができるんですね。縦糸を十二本とすると、横糸も十二本。一ミリ四方の面積に百四十四もの糸の交差点が生まれ、その組み合わせは無限に近いんです。その一ミリ四方を基準として、繊維を作っていくのが私の手法です。

 
▼独学で到達されたんですね。

 かも知れませんね。苦労はありましたが、独学だからこそ、規制がなかったし、枠にはめられなかったと言えます。だから、いろいろ試すことができました。薄くする、厚くする、ドレープを作る、張りを持たせる、穴をあけてみる、などです。このような織り組織中心の考え方はおそらく私だけでしょうが、これで繊維の可能性が追求できたと思います。

 
▼実際に若いデザイナーたちへの支援活動もされていて、また作家としての地位も確立されていますね。

 私は父の跡を継いだという形になっていますが、実際には守って来たのではなくて、攻めて来たんです。石田屋さんも三代目ですが、従来の寝具、インテリア、ファブリックスには飽き足らず、金沢ではきっと攻めていることでしょう。それが根っこのところで、私たち二人に共通することです。これからもお互いに自由な発想で無限の可能性を追い求めて行きたいと願っています。

, [2003年6月20日発行・季刊誌金澤No.29号]