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| ▼石田屋と出会ったのはどういうきっかけからですか? |
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| 十年くらい前でしょうか、彼から突然、連絡があったのです。「会いたい」と。当時、私の作品が専門誌などでよく取り上げられていたので、そこから知ったんでしょう。金沢から八王子まではかなり遠いのですが、ちゃんといらっしゃいました。 |
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| 私の作った生地をいろいろ見て、いくつか発注をいただきました。本気でこられたということです。 |
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| 和風だが、和そのものではない、というような生地がお好きですね。カバー類か何かに使うのだと思うのですが、私の生地は洋服用の生地ですから、彼は私とは違うイメージで生地を見ているわけですね。そこが興味深いところです。それにしても、よく品物の勉強をされていると感じました。 |
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| 一つ一つの作品がきちんと説明可能な状態で揃えられている。
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| 一日に二十から三十の新しい組み合わせの生地作りに取り組んでいましたので、二、三時間しか眠らない日々もありました。その作業を通して、自分の工場のこまごまとしたことや繊維のディテールなどを数多く知ることができたと思います。 |
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| 当社の工場は一ミリの間に十二本の糸を入れることができるんですね。縦糸を十二本とすると、横糸も十二本。一ミリ四方の面積に百四十四もの糸の交差点が生まれ、その組み合わせは無限に近いんです。その一ミリ四方を基準として、繊維を作っていくのが私の手法です。 |
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| かも知れませんね。苦労はありましたが、独学だからこそ、規制がなかったし、枠にはめられなかったと言えます。だから、いろいろ試すことができました。薄くする、厚くする、ドレープを作る、張りを持たせる、穴をあけてみる、などです。このような織り組織中心の考え方はおそらく私だけでしょうが、これで繊維の可能性が追求できたと思います。 |
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| ▼実際に若いデザイナーたちへの支援活動もされていて、また作家としての地位も確立されていますね。 |
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| 私は父の跡を継いだという形になっていますが、実際には守って来たのではなくて、攻めて来たんです。石田屋さんも三代目ですが、従来の寝具、インテリア、ファブリックスには飽き足らず、金沢ではきっと攻めていることでしょう。それが根っこのところで、私たち二人に共通することです。これからもお互いに自由な発想で無限の可能性を追い求めて行きたいと願っています。 |
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| , [2003年6月20日発行・季刊誌金澤No.29号] |
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