2. 加賀の狸寝入り
金沢が「百万石」の中心地であったころ
城下町の商人たちは、お武家様を相手にケッコウな商売をしていたようです。
で、かせいだ財産をどう使ったかというと
その三分の一を不動産に、三分の一を融通資本にまわしたそうです。
ま、ここまでは普通でしょう。では残りの三分の一は?
というと、これがいかにも金沢らしい。
大判小判の大枚を、道具の購入に使った、というのです。
道具というのは、香炉や名物茶具、着物、家具などの美術工芸品のこと。
そんな道具の収集にウツツを抜かしていたから
金沢は明治維新以降の近代化に乗り遅れたんだ、という人もいます。
ともあれ、加賀藩が美術工芸にふけっていたのは事実。
それが幕府の戦略で、そうやって加賀藩を骨抜きにしたのだとか
加賀藩が幕府の目をそらすために文化道楽のふりをしたのだとか、説はいろいろあります。
どっちにしろ、おかげさまで金沢には美術工芸が根付いたわけです。
ぼくには見えますね。
「結果的に徳川の権力は滅びたが、前田の文化は残ったわい」と
空の上で呵呵大笑する三代藩主・利常の姿が。
さてその前田利常とは、幕府に対して愚鈍を装った、実は名君。
彼のオトボケぶりは「加賀の狸寝入り」といわれたとか。
| 司馬遼太郎さんによると 「加賀藩の狸寝入り的な体質が代々忠実に継承され、あまりに忠実であったために狸であることをわすれ、そのうちほんしきに眠りこけてしまった」 のだそうな。 なるほど、大藩でありながら大都市になることができなかった原因は、狸寝入りにあったというわけですか。 |
しかし今にして思えば、それもまたよし。
変に都会化を急がなかったがゆえに、金沢には典雅な雰囲気が残されたといえるでしょう。
悠久の狸寝入りを支えた土地で、寝具店を営むことの楽しさをかみしめているところです。











