石田屋物語 2. 加賀の狸寝入り 3. 
蔵いっぱいの気持ち4. 雪降るときに思策する5. 寝所と庭の自然な関係6. 石田屋の基本理念 Key 
word 3R 1. 温故知新 2. 加賀の狸寝入り

2. 加賀の狸寝入り


金沢が「百万石」の中心地であったころ
城下町の商人たちは、お武家様を相手にケッコウな商売をしていたようです。
で、かせいだ財産をどう使ったかというと
その三分の一を不動産に、三分の一を融通資本にまわしたそうです。
ま、ここまでは普通でしょう。では残りの三分の一は?
というと、これがいかにも金沢らしい。
大判小判の大枚を、道具の購入に使った、というのです。

道具というのは、香炉や名物茶具、着物、家具などの美術工芸品のこと。
そんな道具の収集にウツツを抜かしていたから
金沢は明治維新以降の近代化に乗り遅れたんだ、という人もいます。

ともあれ、加賀藩が美術工芸にふけっていたのは事実。
それが幕府の戦略で、そうやって加賀藩を骨抜きにしたのだとか
加賀藩が幕府の目をそらすために文化道楽のふりをしたのだとか、説はいろいろあります。
どっちにしろ、おかげさまで金沢には美術工芸が根付いたわけです。


ぼくには見えますね。
「結果的に徳川の権力は滅びたが、前田の文化は残ったわい」と
空の上で呵呵大笑する三代藩主・利常の姿が。

 さてその前田利常とは、幕府に対して愚鈍を装った、実は名君。
彼のオトボケぶりは「加賀の狸寝入り」といわれたとか。

加賀の狸寝入り 司馬遼太郎さんによると
「加賀藩の狸寝入り的な体質が代々忠実に継承され、あまりに忠実であったために狸であることをわすれ、そのうちほんしきに眠りこけてしまった」

のだそうな。
なるほど、大藩でありながら大都市になることができなかった原因は、狸寝入りにあったというわけですか。


しかし今にして思えば、それもまたよし。
変に都会化を急がなかったがゆえに、金沢には典雅な雰囲気が残されたといえるでしょう。
悠久の狸寝入りを支えた土地で、寝具店を営むことの楽しさをかみしめているところです。

石田屋物語 金沢発・温故知寝
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