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金沢が「百万石」の中心地であったころ、城下町の商人たちは、お武家様を相手にケッコウな商売をしていたようです。
で、かせいだ財産をどう使ったかというと、その三分の一を不動産に、三分の一を融通資本にまわしたそうです。
ま、ここまでは普通でしょう。では残りの三分の一は? というと、これがいかにも金沢らしい。大判小判の大枚を、道具の購入に使った、というのです。
 
道具というのは、香炉や名物茶具、着物、家具などの美術工芸品のこと。
そんな道具の収集にウツツを抜かしていたから、金沢は明治維新以降の近代化に乗り遅れたんだ、という人もいます。

ともあれ、加賀藩が美術工芸にふけっていたのは事実。
それが幕府の戦略で、そうやって加賀藩を骨抜きにしたのだとか、加賀藩が幕府の目をそらすために文化道楽のふりをしたのだとか、説はいろいろあります。
どっちにしろ、おかげさまで金沢には美術工芸が根付いたわけです。
ぼくには見えますね。「結果的に徳川の権力は滅びたが、前田の文化は残ったわい」と空の上で呵呵大笑する三代藩主・利常の姿が。

さてその前田利常とは、幕府に対して愚鈍を装った、実は名君。
彼のオトボケぶりは「加賀の狸寝入り」といわれたとか。
司馬遼太郎さんによると「加賀藩の狸寝入り的な体質が代々忠実に継承され、あまりに忠実であったために狸であることをわすれ、そのうちほんしきに眠りこけてしまった」のだそうな。
なるほど、大藩でありながら大都市になることができなかった原因は、狸寝入りにあったというわけですか。


しかし今にして思えば、それもまたよし。
変に都会化を急がなかったがゆえに、金沢には典雅な雰囲気が残されたといえるでしょう。

悠久の狸寝入りを支えた土地で、寝具店を営むことの楽しさをかみしめているところです。